8歳のころよりバスケットボールをはじめ、高校はバスケの強豪が集まる愛知県の私立高校へ進学。持ち前の脚力とガッツは上級生からライバル心を起こさせる(恐るべし?!)存在。2年生でスタメン登場したり3年生のときには冬の選抜大会で同年のインターハイ3位のチームを破りベスト8入りするなど
無名のダークホース的?!シューティングガードとして貢献する。1990年富士通へ入社。当時ジャパンリーグ2部
だった富士通レッドウェーブでプレーする。が、中学生のころからの腰痛をはじめ、後脛骨腱炎、左ひじ関節捻挫、足関節捻挫など次々と起こる怪我に悩まされる。1992年に腰椎分離症、坐骨神経痛が悪化し現役を断念。1993年より同バスケットボール部にてアスレチックトレーナーとして活動を開始する。
男子バスケットのオリンピック代表チームのアスレチックトレーナーの指導の下、黙々と活動を続け1995年にチームが日本リーグの1部にみごと昇格。何とか、全選手がベストな状態でプレーできるよう裏舞台でチームを支えた。講習会に参加したり、洋書やジャーナル等を読んでスポーツ医学の勉強をしながらも、前十字靭帯損傷など手術を必要とする怪我、選手生命を左右するような怪我をはじめ、足関節捻挫、膝痛などの繰り返し起こる怪我に対し、「これではいかん!」と
強く疑問を感じ始める。
当時、アスレチックトレーナーの学校や資格は日本にはなかったので、アメリカ留学を決意。1996年にアメリカに単身渡米、
アラバマ大学の英語学校を終了後、同大学入学。専攻はアスレチックトレーニング学科・副専攻は栄養学をとる。2000年夏に卒業。2001年
春に全米公認アスレチックトレーナとなる。その後、主婦・母となり現場を離れるが、インターネットでの怪我相談をはじめ、アスレチックトレーニング、スポーツ栄養学、リハビリテーションなど勉強をし続ける。2012年にカリフォルニア大学ペンシルバニア
大学院に入学。翌年リハビリテーションサイエンス科を修了。同大学院ではキネシオロジー、運動生理学、スポーツ栄養学など更に深く学び、
留学当時の疑問であった「怪我を防止したり、怪我のサイクルを打ち破る方法〜コレクティブエクササイズ」も学ぶ。卒業とともにナショナルアカデミーオブ スポーツメディスン(NASM)のパーソナルトレーナーとコレクティブエクササイズ スペシャリストの資格を取得する。
その後、ホームタウン〜タスカルーサのクライエントのほか、ホームページを通じ、日本のアスリートをはじめ、あらゆる年齢層のクライエントに怪我をしにくい体づくり〜ファンクショナルムーブメントの指導している。
1972年生まれ 愛知県常滑市出身。夫【イエン】子供【セス・エビン】&犬【リリー】とアメリカのアラバマ州で暮らしています。
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